南方熊楠は日本人の可能性の極限だby柳田国男

ecoshopgirls

2012年08月17日 16:42

「日本最初のエコロジスト」と呼ばれる南方熊楠

博物学者、民族学者、細菌学者、天文学者、人類学者、考古学者、生物学者、
いろんな言われ方をするけれど、

熊楠は肩書きがなくては己が何者かもわからんような阿呆共の仲間になることはない
大学、研究機関にも所属せず、決まった師もいない
国の援助を受けるこも無い、在野の大学者だった。

にも係わらず、科学者なら一度は論文が掲載されることを願う
『ネイチャー』誌に51回も論文が掲載されている。断トツ桁外れ。
菌類の研究で有名だが最初に1等になり掲載されたのは天文学の論文だ。

一般的な物差しからはかなりハミ出してる。

大学予備門(現東京大学)に入るも(同窓生には後の夏目漱石や正岡子規がいた)
こんなことで一度だけの命を賭けるのは馬鹿馬鹿しい
授業そっちのけで遺跡の発掘や菌類の標本採集に出掛けていた。

中間試験に落第したのを機に和歌山に帰郷、勉強はアメリカの方が進んでると渡米。
現ミシガン州立大学で寄宿舎生活を送っていたが、
禁止されているお酒を飲んで廊下で爆酔してるとこを校長に見つかり退学。

それからキューバでサーカス団に入り南米を回ったり、
イギリスに渡って大英博物館で勉強したり仕事したり
暴力事件を起こして出入り禁止になったり。

いろんなこともしながら標本を集め論文を投稿し
操る言語は18ヶ国語とも22ヶ国語ともいわれてる。

和歌山に帰ってからも、褌一丁の裸同然で野山で菌類の採集に没頭、
その姿を目撃した娘さんたちを「てんぎゃん!?」(方言で天狗)と驚かせていた。

猫好きなことでも有名で、ロンドン時代は掛け布団代わりに猫を抱いて寝ていたとか。
日本に帰ってから飼った猫たちの名前は一貫してチョボ六。
後に妻になる松枝に会う口実として何度も汚い猫を連れてきては
猫のからだを松枝さんに洗ってもらっていたそうだ。


エピソードがありすぎて長くなった、
次は熊楠さんがエコロジーについて言った言葉を紹介したいと思います。
<イワ>


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